20240529. consulting business について

1、Consulting businessについて、
私の個人経歴では1986年から1997年の約10年間、SRI Internationalと言う、San Franciscoに本社がある
None profit organizationの日本事務所でsenior consultantとして、主にASIAを対象とした、consulting
業務に従事しました。 最初にconsulting businessの歴史を振り返りますと、
consulting business は1986年にArthur D,LittleがMITキャンパス内に設立したのがはじまりです。
1912年BoozAllen,&Hamilton、1926年Mckinsey, と続いています。SRI Internationalは1946年、
スタンフォード大学により、スタンフォード研究所(Stanford Research Institute)の名で地域の経済発展を
支援する目的で設置されたものです。1970年に完全に大学から独立し、アメリカ合衆国の非営利組織として
独自の法人となり、1975年に SRIインターナショナルへと改称。科学技術の発見・応用を通して、
知識・経済・繁栄・平和へ貢献することを目的としている。政府機関、企業、私立財団などの顧客から研究開発
を請け負っている。テクノロジーのライセンス提供、戦略的提携、スピンオフ企業の創業なども行っている。

正確には非営利独立研究機関として、その1部として、Business Consultation を実施していました。
歴史をみると
1950年からChemical Economics Handbookを発刊、
from1960s The Directory of Chemical Producers(DCP),
from mid-1970s The Process Economics Program(PEP), the World Petrochemicals(WP),
from the late1970s the Specialty Chemicals Update Program(SCUP),
これらはいずれもmulti client reportとしてUSA, Western Europe,Asiaで販売されました。のちには全世界で、
当然、single client consultationもいろいろな形で実施した。小生も、これらmulti client report
の執筆のみならず、single client consultationのmarketing, coordination, study等も実施した。
Single client projectについては守秘義務の関係で具体的には内容を開示しません。

ただ、SRIの空気としては、consultingで利益をだすことに抵抗感があり、
さらに、internetを開発した組織として、consulting部門(multi client reports serviceを含む、)を
持続的事業として持つことの意義付けが難しかったようです。  
SRIは内部から見ると受託研究機関としての立場が強く利益追求形の組織(consultation Firm)ではなかったとおもいます。
1995年にはconsulting部門はSRI consultantとして、SRI Internationalの子会社となりました。そして、
私がSRIをretireした7年後、SRI consultantをaccess intelligenceへ売却しました。
そんな経歴から、consulting businessの持っている矛盾を感じており、昨今の国内における
consulting businessへの新卒者の入社には危惧の念を感じていました。 以下の記事をとりあげました。

企業コンサル「断捨離」のすすめ     無駄な高額報酬「有効活用」の道

企業戦略、マーケティング、ものづくり、人事、DX、M&A、セキュリティまで多種多様なコンサ
ルタントが大手企業だけでなく、中小、零細企業にまで入り込むコンサル百花繚乱の時代になった。
国内のコンサル事業の売上規模は昨年、2兆円を突破したといわれる。社内に知見のない新分野が広
がる一方、地政学リスクなど事業環境の不透明性が高まっていることが追い風になっている。ただ、
コンサルが企業の払う対価に見合う付加価値を与えられているかは疑問だ。日本企業は粗製濫造のコ
ンサル依存から卒業し、社内人材をしっかり育てるべき時を迎えている。
「提案書をテーブルに叩きつけ、『ふざけるんじゃない』と怒鳴りつけてやりましたよ」
ある地方メーカーの経営企画担当役員は今も怒りが収まらない様子でこう語る。新規事業の市場参入
プランについて東京の大手コンサル会社と年間1億円で契約し、その中間報告を受け取った時の出来
事だ。
内容はその役員が2週間前に東京で参加した会計系のコンサル会社のセミナー資料とほぼ同じで、企
業名とターゲットとする商品や顧客特性のみが書き換えられ、提案されたサービス名称は既に他社が
別分野で商標登録済みのもの。他社の資料とアイデアのパクリだった。「地方企業だからバレないと
舐めていたんでしょう」と役員は語る。コンサル契約は解除し、契約料は2割だけ払ったという。
似たような話は実は地方だけでなく、首都圏でも続発している。あまり表に出ないのは、顧客の企業
がコンサルを導入していることを他社に知られたくないうえに、コンサル会社に弄ばれたことを恥と
感じているからだ。粗悪コンサルの被害は悪質美容整形外科と同じで、泣き寝入りとなりがちだ。
麻薬のような常習性
1960~80年代の高成長時代に日本企業はコンサルを嫌っていた。うまく行っている事業に社外のア
ドバイスは不要で、社内人材で成功できる自信があったからだ。事業や組織の改革の必要性に目覚め
た一部の優良企業だけが、マッキンゼー・アンド・カンパニーやボストン・コンサルティング・グル
ープ(BCG)、ローランド・ベルガーなど米欧系の戦略コンサルを使っていた。
だが、バブル崩壊後、成長が鈍化し、八方塞がりとなった日本の輸出型製造業や国際業務で行き詰ま
った金融機関が「成功体験の否定」と「社内の保守的風土の打破」という狙いで、コンサルに頼り始
めた。社内エリートが集められた経営企画部門は業績悪化で自信を喪失、リストラもあって社内人材
が細っていく中で、外部の人的資源に依存せざるを得ないという事情もあった。
「コンサルには麻薬のような常習性がある」と大手金融機関の役員は言う。一度、使い始めると社内
の人間は頭を使わなくても経営陣に通りやすい提案が提供されるからだ。仮に提案が取締役会で批判
されたり、具体化して失敗したりしてもコンサルを矢面に立たせて、社内の人間が受ける打撃は最小
化できる。
コダワリ・ビジネス・コンサルティングが公表した「日本のコンサルティング市場規模と将来予測」
によると、2017年に9644億円だった市場は22年に1兆8281億円と、わずか5年間で倍増した。総
合系、戦略系というコンサルの主流に加え、業務・IT系やM&A・事業再生系なども着実に成長し
て来た。業務のDX化やM&Aに不可欠なデューデリジェンス、さらに買収後の組織や業務の統合な
どは社内に専門人材が少なく、外部に委託せざるを得ないからだ。
だが、本来、社内人材で賄われるべき総合系、戦略系まで膨張して来たのは日本企業の甘えであり、
人材の採用・育成を怠って来た証ともいえる。東京大学はじめ難関大学の学生が事業会社ではなく、
コンサル会社を志望する現象はそれを象徴している。
社内人材を育てること
こうしたコンサル需要の急膨張と裏腹に、コンサル人材のレベル低下、力量不足がこの数年、深刻化
している。ビジネスの現場経験もない人材が、収集したデータを分析フレームワークに当てはめ、テ
ンプレートの提案に落とし込む、というコンサルの自動化が進んだためだ。顧客ごとのカスタマイズ
は本来、社内の幅広い部門の社員に時間をかけてインタビューし、得た情報を徹底的に考え抜いたう
えで紡ぎ出すべきものだが、現状は似通った条件の他社事例やネット検索でイージーなソリューショ
ンをでっち上げるケースが多い。力と時間の入れようはコンサルフィーの「松」「竹」「梅」のラン
クに比例するだけだ。
こうしたコンサル業界の「不都合な真実」は既にクライアントの企業には見透かされている。クライ
アント側は様々なセミナーや取引銀行を通じた専門家のアドバイスを得て、コンサル会社の「先回
り」をして、解決策を持っているケースが少なくない。コンサルが出してくる提案のレベルを測る準
備はしっかりできているわけだ。
結果として、大手企業は今、優秀な人材の採用・育成にコストをかけた方がコンサルに依存し、フィ
ーを払い続けるよりもはるかに有利という認識は持ちつつある。前述のコンサル市場予測では、23年
に2兆290億円(予測)に達した後、市場は横ばい・縮小期に突入し、30年の市場規模は2兆680億
円と23年からほとんど成長せず、飽和期に入る見込みだ。
「東大生が行くようになったら、その業界はもう終わりだ」という箴言が日本の経済界にはある。戦
後すぐの石炭、繊維に始まり、鉄鋼、銀行など東大生の就職人気が高まった業界はその後、没落が始
まった。今の東大生の外資系コンサル人気は没落の予兆だろう。
今後、本当にコンサルが必要なのは、地方企業、中小企業だろう。その多くは海外市場経験はほとん
どなく、業務のDXなどに手を付ける術もない。販路開拓にも人脈はなく、新卒学生の売り手市場が
今後も継続する中で、人材を採用できるメドもない。そうした企業は日本にはあふれるほど存在す
る。
経験豊かで、企業の実情に向き合った提案ができる身近なホームドクターのようなコンサルであれ
ば、需要は大きい。実際、地方銀行の多くが中小企業との距離の近さを使ってコンサルを新たな収益
源にしようとしている。かつてそうしたニーズには中小企業診断士があたっていたが、DX、M&
A、事業承継、海外市場などの専門性と実務経験、ネットワークが不可欠になるなかで影が薄くなっ
た。
今、日本企業にとって重要なのは、無思慮なコンサル依存からの脱却であり、企業内部の人材を時間
とコストをかけて専門性の高い人材に育てて行くことだろう。

Author: xs498889

2 thoughts on “20240529. consulting business について

  1. コンサルの実情に関するとても参考になる随想です。これからはAIが入ってくるのでコンサルが伸びて行くのは大変でしょう。どうやってAIを越えるコンサル結果が出せるかが勝負と思います。文中にあった「東大生が行くようになったらその業界はもう終わりだ。」は面白いですね。確かに1965年東大物理工学科の同期は、八幡製鉄、富士製鉄、川崎製鉄、日本鋼管、東芝、三井石油化学、電電公社などに就職しましたが、その後の合併、リストラなどで大変なめに会ったようです。当時は、ソニー、トヨタなどに誰も行きませんでした。私は、修士課程修了後ブリヂストンに就職しましたが、変わり者扱いでした。誰も13年後に母校に呼び戻されるとは思っていなかったようです。また、1995年頃に物理工学科の就職担当教授になったのですが、当時はNTTが人気で志望学生が4名もいました。原則は、1社1名でした。皆さん譲らず、NTTは大きいので2名はOK、また出来たてのNTTドコモ、NTTデータ通信に1名ずつで解決しようとしました。ドコモ、データになった学生はとても嫌がりましたが、「この2社は将来伸びる。」と言って何とかしましたが、親が出てきて「大事な息子をどこの会社か分からないドコモやデータなぞにやれないと一点張りでした。」ドコモは、出来たてで人材が欲しいため、最後には「学生が駄目なら先生が来てくれ。」と真顔で言い出しました。私にとっては魅力でしたが、「就職担当の教授が就職した!!」などと週刊誌に書かれたら拙いので断りました。その後のNTTドコモは快進撃でした。今でもあのとき移っていたら良かったのに後悔しています。世の中分からない物ですね。
    コンサルに関連して一時流行ったのが「大学の外部評価」です。内部の人間は書類作成で大忙しですが、評価する側は、メンバーは寄せ集めでさっと資料に目を通して尤もらしい評価をしていました。それで日本の大学が少しは良くなったかも知れませんが、世界大学ランキングを見る限り相変わらずです。評価する側も評価される側ももっと真剣になって貰わないといけません。基本は人材交流と多様性、組織の柔軟性ですが、何せ日本の大学は生え抜きが多くて障害になっています。

コメントを残す