2024901. 14.ゴムリサイクル・・・世の流れは材料リサイクルに

 1990年代になるとバブルがはじけて一気に研究開発の様子が変化してきた。今までは個人個人が割と好き勝手なことをしてきて新しい芽を見つけていくことが多かった。しかしながらそれではヒットが少なく多くの研究者が次第に小ぶりの成果を求めて研究開発をするようになってきた。社内では大きなホームラン狙いの研究がやりにくく、多くの研究者がバントヒットを狙うようになってきたのである。そこで新しい試みとして会社が大きなテーマを設定し、プロジェクトリーダーの元で多くの研究者で進める方式を採用することになった。
私もリサイクルプロジェクトの一員として選ばれ、テーマとしてはゴムリサイクルを研究することとなった。当時でも樹脂のリサイクルはかなり行われているが、ゴムに関してはトヨタグループに豊田合成というゴム会社があるにも関わらずほとんど手つかずになっていたからである。それ以外のプロジェクトとしては二次電池、燃料電池、太陽電池、排ガス浄化触媒、高性能磁石、半導体など色々と行われていた。
 ゴムリサイクルでまず考えたのは、リサイクルしやすいゴム分子を設計しようという発想で切れやすい分子骨格をもつ分子の設計とその合成を担当した。そのためモデル物質としてアルキル鎖同士をジシランSi-Siで結合し長鎖アルキルジシランを合成しその光分解を研究した。モデル分子を合成し、紫外線を照射してしっかりSi-Siが分解することが確認できた。
そこで今度はポリオレフィンの末端にSi-Siをいれて分解性のゴムを作ろうとした際にプロジェクトリーダーからそのような材料を作っても誰も使ってくれないのではないかと言われ立ち止まった。確かにその通りだし、合成した材料がゴム的な性質を示すかどうかも全く未知であった。それではどうするかという事になりメンバーで集まり何回もブレーンストーミングを行った。
当時はアイデアが出るまで終わらないという厳しいものであり一日中行っていることもあった。その際にリーダーから樹脂やゴムを扱う会社には必ず二軸押出し機がありそれで複合材料を製造しているので、逆にその装置を使ってゴムの加硫部分を切断して再生できないだろうかと言う提案があった。目からうろこである。私自身は有機合成専門なので新しい材料や新しい反応を精密に制御して作るものだという概念にとらわれており、モノつくりの装置を分解装置にすることには違和感があり反対であった。しかしながら論より証拠である。
加硫したEPDM材料を細かくして二軸押出し機のスクリュー内に投入すると見事に出口からは架橋部分のみを選択的に切断して新ゴムの状態になってストランドとして出てきたのである。今まで乱暴な装置だと考えていた二軸押出し機が、一気に精密な反応場に思えてきた。そこでこの原理を「せん断流動場反応制御技術」と命名し、トヨタ自動車、豊田合成の協力の元、大勢で進めていくことになったのである。
その最初の学会発表が論文1)であり、その後ゴム協会誌に連続9報の論文を掲載できることになった。
それが論文2)である。実は私自身はこれらの研究の後半は参画しておらず共著者にはなっていない。その筆頭者である毛利は名古屋工業大学(大谷肇教授、2023年ご逝去)から博士(工学)の学位が授与された。この学位論文を仕上げる際には自分の経験も踏まえてかなりの時間を割いて査読などを行なった。
この技術は実際に豊田合成の工場内で1995年ごろから実際に使用されており、2003年には高分子学会から技術賞を受賞している。また会社のホームページで確認すると現在でも問題なくリサイクルに寄与できているようである3)。

1)毛利 誠, 岡本浩孝, 臼杵有光, 佐藤紀夫, 高橋秀郎, 本多秀亘, 中島克己, 市川昌好, 鈴木康之, 大脇雅夫: 日本ゴム協会第9回エラストマー討論会講演要旨集, 160(1996).
「架橋ゴムの高品位リサイクル技術」
2)日本ゴム協会誌, 72(1), 43-49 (1999). 「新脱硫技術の提出」. 72(1), 50-57 (1999). 「EPDMにおける脱硫反応処理条件と再加硫ゴム物性」. 72(5), 278-282 (1999). 「EPDMにおける脱硫反応課程の解析」. 72(5), 283-287 (1999). 「EPDMにおける脱硫反応メカニズム」. 72(7), 429-433 (1999). 「廃タイヤの脱硫反応条件と再加硫ゴム物性」. 72(7), 434-438 (1999). 「廃ブチルチューブの脱硫反応条件と再加硫ゴム物性」. 73(3), 138-143 (2000). 「再生ゴムをブレンドしたポリプロピレン樹脂の相構造と力学物性」. 73(11), 612-616 (2000). 「過酸化物架橋EPDMの再生条件と加硫再生ゴム物性」. 74(3), 118-119 (2001). 「市場回収した自動車用ウェザストリップの再生」.
3)豊田合成のHPより
https://www.toyoda-gosei.co.jp/seihin/technology/theme/circulation/

Author: xs498889

3 thoughts on “2024901. 14.ゴムリサイクル・・・世の流れは材料リサイクルに

  1. メールありがとうございます。ゴムのリサイクルの話はとても興味があります。特に二軸押し出し機を使ったEPDMのリサイクルは
    素晴らしい着想です。私もブリヂストンにいたときにタイヤ用ゴムのリサイクル研究をしましたが、カーボンブラック補強した天然ゴム、SBR, BRやそのブレンド
    の加硫物が主体で苦労しました。ゴム粉、熱分解回収カーボンブラックなどいろいろやりましたが、回収コストを考えるとそこそこ出来ても採算に合わず、結局
    セメントや鉄鋼生産用に燃料とするのが主流になりました。
    1979年~1981年頃の日本ゴム協会誌に沢山論文は出しました。トップから「リサイクルの研究は、公共事業に近いのでいくら発表しても良い。」というお墨付きだけは貰いましたが。
    面白いことに、日本合成ゴム(JSR)とも共同研究しましたが、JSR側の主要メンバーの一人が、井上隆博士でした。
    JSRは加硫ゴムを流動床で液化しましたが、とても粘っこくて臭いのに参りました。
    彼は、その後、東工大、山形大に移りました。豊田中研の方法では、旨く脱臭出来ていてのも特徴でした。
    世の中狭い物ですね。
    西 敏夫

  2. 西先生と井上先生がそのような旧知の仲だったとは初めて知りました。
    確かにゴムのリサイクル時の臭いはすごくて、会社では皆さんに嫌われていました。
    実験の際は他のメンバーが避難したくらいです。
    しかしながらその辺の最後の実用化を支えたのが、私より一年先輩の福森さんでした。
    彼は東大時代の西先生のところで学位を取得されたゴムの専門家であり、臭気成分を絞り込み水に溶解・分散させて蒸気と一緒に脱気させる脱臭技術を確立しました。
    実はそこのところが一番苦労した点だったと記憶しています。
    高分子学会賞も彼が中心で豊田中研、トヨタ自動車、豊田合成の3社で受賞したものです。
    現在は愛知工業大学で教授として教鞭をとられていますが、来年は70歳になられご退官と聞いています。

    臼杵有光

  3. メールありがとうございます。井上さんとの出会いは、もっと古くて、実はBSに入社して間もない頃、「レーザー光のポリマーへの応用」を検討したことがあり、
    当時、結晶性ポリマーのレーザー光散乱(Hv、Vv散乱)やレオオプティクスなどを盛んにやっていた京大の河合研を訪問したところ、実験装置の説明をしてくれたのが当時博士コースの
    院生だった井上さんでした。多分、彼は覚えていないと思います。当時は、Heーネオンレーザーが主体でしたが、BSで購入して色々やったところレーザー光が不安定で
    不透明な場合が多いゴムには不向きでお蔵入りでした。
    福森さんは当時、西研でパルス法NMRを使っていろいろ研究してくれました。確か、本郷の機山館に長期滞在して、院生の誰よりも早く来て誰よりも遅くまで研究していました。
    豊田中研に戻ってから相当数の論文を書き、東大から論文博士号を取ったと思います。リサイクルゴムの臭いの問題解決に貢献したのは素晴らしいですね。
    二軸押し出し機を使ってゴムのリサイクルをタイヤ用ゴムにまで発展させているのは、北京化工大学の先端弾性体材料研究中心(Center of Advanced Elastomer Materials(CAEM))です。
    中国は、ゴムのリサイクルを数百万トン単位でやっています(加藤進一:日本ゴム協会誌、第97巻、8月号、230-237(2024)の表8(但し、単位がトンで書いてありますが、本当は、万トンの間違いです))。その中の新しい手法として普及中です。なお、CAEM長だった張立軍教授は、その後、材料学院院長、副学長、中国工程院院士、華南理工大学総長、西安交通大学総長と目覚ましい出世をしています。彼との出会いは、国際ゴム技術会議(IRC)を2005年に横浜で行った際、面白そうな研究だったので私が組織委員長だったので
    周囲の反対を押し切って招待講演にして以来です。

    西 敏夫

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