1997年にトヨタで初のハイブリッド車プリウスが生産され環境意識が高まり、石油資源の枯渇や地球温暖化対策の一つとしてバイオテクノロジーにも着手し始めた。1998年にはトヨタ自動車社内にバイオ・緑化事業室ができ、翌年には本社とは別の敷地にバイオ・緑化研究所ができたこともあり、トヨタグループ全体でバイオに関する研究開発の要請が多くなってきた。豊田中研でもバイオ研究室を立ち上げることになった。
製薬会社、アルコール製造会社などから3名のドクターの方が入社し中核となった。私は高分子の研究室だったので共同で実施できることを模索し、それがバイオポリマーの研究だった。バイオで大腸菌や酵母を扱う人や遺伝子組み換えを行う人など多くの研究者が集まってきたので、モノマーからポリマーまでを一気通貫で開発するプロジェクト業務を立ち上げることになった。
私はバイオの知識がほとんどなかったので、これはチャンスだと捉え会社に申請し、プリンストン大学のバイオ関連の研究室に留学することになった。しかしながら2001年9月15日の出発を控えた直前の9月11日に世界貿易センターに飛行機が突っ込むとんでもない同時多発テロ事件が発生してしまった。すぐに翌日、海外に居る会社の社員は全員日本に帰国を余儀なくされ、当然ながら私の留学は取りやめになってしまった。
実は以前にも1990年に始まった海外留学制度にナイロンクレイナノコンポジットで実用化した直ぐの1991年に応募したが年齢が35歳以下と言う社内規定(PhDコース)に引っ掛かり落とされてしまった(36歳であった)。今回は年齢制限のない海外派遣である。2度目のチャンスであり期待していたが残念でならない。どうもそれ以来海外出張には前向きになれない。
しかしながら会社は待ってくれなくてすぐにバイオポリマープロジェクトがスタートし、更にトヨタグループ内でもほぼ全社が集結しバイオポリマーを自動車に使おうという業務がスタートした。この全社横断型プロジェクトのリーダーがトヨタ自動車の影山裕史さん(現金沢工業大学教授)で私はサブリーダーになった。当時は使えそうなバイオポリマーとしてはポリ乳酸が有力だったためそれをターゲットにした。2001年には京大から大内誠さん(澤本研のドクター、現京都大学教授)が入社し、またトヨタグループ内には樹脂のメーカーが存在しないため2002年には島津製作所からポリ乳酸の製造関連特許とノウハウを取得し、更に技術者(小原仁美さんなど10数名)までもトヨタ自に入社することになった。
その流れで2004年にトヨタの広瀬工場内に年産1,000トン規模の実証プラントを完成させ、また東レの技術者(熊木治郎さん・現山形大学教授など数名)も生産プロセスの中でこのビッグプロジェクトに参加した。それでこの間、2003年5月には新型「ラウム」のスペアタイヤカバーやフロアマットに、自動車部品としては世界で初めてポリ乳酸が採用された。2007年までの3カ年にわたる技術実証計画では、バイオプラスチックの事業化自体は時期尚早と判断し他社に譲渡されてしまったが、この3~4年間は初めてトヨタが樹脂メーカーの仲間入りをした期間である。確かこの時の商品名は「U’z」(ユーズ)であり私は勝手にUsuki’s(Polymer)と呼んでいた。またトヨタ自の小原さんはその後トヨタ自を退職され京都工芸繊維大学教授になられ、2022年に退官されている。
そうなるとせっかく自前のポリ乳酸を保有しているので、基礎的な研究を実施しようという事で京都大学化学研究所の金谷利治教授(現京都大学名誉教授)との共同研究を開始した。途中から参加されたポスドクの河井貴彦さん(群馬大学から現東北大学准教授)がとても精力的に実験を行い、多くの論文を書くことができた。代表例は論文1)2)である。河井先生とは2014年から始まったImPACTのしなやかタフポリマープログラム(伊藤耕三プログラムマネージャー、アドバイザー:西先生、井上先生、平尾先生、有田氏、臼杵の5人)で再会することができた。
乳酸にはL体とD体という光学異性体が存在し、そのDとLを光学分割してから重合させないと結晶性が低下してしまう。それでトヨタではそれぞれカルシウム塩の結晶を作りそれを分割し、その後乳酸に戻すというプロセスで純度がほぼ100%のL-乳酸を製造し、ポリ(L-乳酸)(PLLA)を作っていた。一方乳酸菌の遺伝子組み換えによりD-乳酸も得られるので、ポリ(D-乳酸)(PDLA)も用意することができた。PLLAとPDLAは1:1で混合するとステレオコンプレックスができることは文献3)により知られていたのでそれも検討した。
PLLAとPDLAの機械的特性はまったく同じであったが、ステレオコンプレックスにすると融点が急激に向上し、結晶化挙動に大きな違いがあった。それをまとめたのが論文2)である。それを契機としてポリ乳酸の結晶化核剤をかなり研究し、ホモポリマーのみを結晶化させる核剤、ステレオコンプレックスに適した核剤を見つけることができたが、それらはノウハウ扱いとなって論文にはできていない。
1)Takahiko Kawai, Nelly Rahman, Go Matsuba, Koji Nishida, Toshiji Kanaya, Mitsuru Nakano, Hirotaka Okamoto, Jumpei Kawada, Arimitsu Usuki, Nobutaka Honma, Katsuhiko Nakajima, Masatoshi Matsuda,
Macromolecule, 40(26), 9463–9469 (2007).
Crystallization and Melting Behavior of Poly (l-lactic Acid)
2)Nelly Rahman, Takahiko Kawai, Go Matsuba, Koji Nishida, Toshiji Kanaya, Hiroshi Watanabe, Hirotaka Okamoto, Makoto Kato, Arimitsu Usuki, Masatoshi Matsuda, Katsuhiko Nakajima, Nobutaka Honma,
Macromolecules, 42(13), 4739–4745 (2009).
Effect of Polylactide Stereocomplex on the Crystallization Behavior of Poly(l-lactic acid)
3)Hideto Tsuji, Fumitaka Horii, Suong Hyu Hyon, Yoshito Ikada,
Macromolecules, 24(10), 2719–2724 (1991).
Stereocomplex formation between enantiomeric poly(lactic acid)s. 2. Stereocomplex formation in concentrated solution
メール拝見しています。ポリ乳酸(PLA)の話はとても面白いです。その前に先生がプリンストン大学に留学し損ねたのは残念ですね。
世界ランキングで常に上位に入る超一流大学ですし、大学基金が5.3兆円もある裕福な大学です。プリンストンは、ニュージャージー州(別名ガーデンステート)にある大学都市で、ベル研究所から車で1時間も掛からないので良く行きました。周りは森や田園、広大なお屋敷などに囲まれたこじんまりした大学町で治安も良好でした。キャンパスは、古風な建物が並び、とてもアメリカとは
思えない雰囲気です。尚、古風で大きなファイアストーン図書館も有名です。これは、ファイアストーンタイヤの創業者である、ハーヴェイ S. ファイアストーンが寄附した
建物です。後日、ファイアストーンタイヤがブリヂストンに買収されるとは、彼は夢にも思っていなかったでしょう。アインシュタインが居たプリンストン高等研究所も近くにあります。ネットを調べればよく分かります。ポリマー関係では、レオロジーのトボルスキー教授などおられました。そう言えば、前回お話しした、ベル研所長だったベイカー博士(元は合成ゴム研究者)は、プリンストン大学でPh.Dを取られたはずです。
ベル研とも関係が深く両方兼ねている研究者もいました。1986年、1987年と夏休みの間、ベル研に行ったときは、ベル研を兼任しているプリンストン大学の教授に招聘状を書いて貰い、行き先はベル研ということで大学から出張許可を得ました。基礎研究に関してはベル研は開放的で、アメリカやEUの色々な大学から有名な教授が来ていました。サバティカルを利用していたのでしょう。院生もインターンでMIT, スタンフォード、プリンストンなどから来ていました。
生分解性ポリマーに戻ると、私たちも1996~2004年にかけてPLA,PCL、PHB, PBSなどのブレンド、結晶化など研究していました。特に生分解性ポリマーには、C=O基などの極性基が含まれているので他のポリマーとの相溶性が良くて面白い研究が出来ました。意外と、PVCやPDDFとも混ざります。環境的には拙いですが研究としてはOKです。西研でこの分野をやっていた外国人研究員のQiu Zhaobinは、その後北京化工大学の教授になり、ネットで調べると今でも生分解性ポリマーの物性などで頑張っているようです。
今でも島津製作所製のPLAで作ったフレネルレンズを愛用していますが、未だ生分解していません。当時は、何故島津がPLAに手を出したのか不思議に思っていました。臼杵先生の
文では、豊田中研は必要に応じてドンドン中途採用をしたのが素晴らしいですね。人材の交流はとても大切と思います。
西 敏夫
もうだいぶんまえになりますが、1983年にPhiladelphiaの近くのValley forgeにあるPennwalt chemicalの研究所に約1ヶ月滞在したことがあります。 プリンストンへは車で約1時間程度の所のようです。
ここでPVDFの熱硬化塗料Kynar500とPVDF樹脂の物性や用途開発の知見を2−3週間実習し、残りTechnical serviceと称して、米国を北から南とビル見学(Kynar500は高層ビルの外壁塗装で成功していました。)と加工メーカーへのTSを経験しました。
これに先立ち箱根で約1.5月の英語の特訓(この間合宿でEnglish onlyでした。)、面白い経験でした。
研究所のあるValley forgeは歴史記念公園でさらに、足を伸ばすとKing of Prussia(今は開発されているようですが、) 当時は広大な公園でした。 研究所内にもリスが遊んでいたり、 Renta carを借りてdriveに行くために止まっていたホテルで手配をしていると、係の女性が危ないから止めろ、 言って止められました。 英語の喋りがあまりに拙いので、心配されたようで、結局英語そのもの理解は大丈夫と分かったようで、手配してくれ、行き、帰りを見守ってくれました。
ちょうど秋の初め頃でindian Summerで紅葉が印象に残っています。
TSの途中でフロリダのOrlandoのデズニーランドへ行きました。日本人にはほとんどあいませんでした。
観客が少なく、どのアトラクションも待つこともなく、全部のアトラクションを半日程で回れました。 又、米国の石油化学の起源はテキサスのHoustonと思っていましたが、その隣のGalvestonで最初所謂、combinateができたが、大きな火災に見舞われ、Houstonへ移転したようです。 ここはスペイン風の建物が残りエキゾチックな雰囲気が残っていました。
田代