植物由来のバイオポリマーを研究しているとその原料である植物のことが気になってきた。植物はセルロース、ヘミセルロース、リグニンが主成分であるが、使われているものはほとんどがセルロースが原料である。他のものは使用できないのか?と言うのが素朴な疑問であった。特にリグニンは構造自体が不明確で3次元に架橋されてポリマーとしてはうまく使用されていなくてほとんどが燃焼されて回収熱エネルギーとして使われている。そこでリグニンを可塑性にできれば用途があるのではないかと言うのが私からの提案であった。
1990年代後半からトヨタ自動車が資金を出して先端科学技術研究を行う大学・研究所の研究者から21世紀の人類共通課題である「環境、エネルギー、安全」を中心とする研究課題を広く募集し、その研究活動に対して助成するプログラムがスタートしていた。この制度を発展させた形で、2001年より「共同研究公募制度」を開始することになり、豊田中研にもこの産学連携への協力要請があった。毎年色々な大学の先生から多くの応募があり、当時は大学の研究室を訪問して先生の意気込みや研究成果の応用やその可能性などをヒヤリングさせていただいた。
その中で当時の名古屋大学農学部の福島和彦准教授(現教授)からリグニンの構造解析に関する提案があり、これはチャンスだと考えこのテーマの中でリグニンの可塑性に関する共同研究を始めることになった。共同研究費用としてトヨタは破格の金額を用意していたため、学生さんやポスドクを雇用され精力的な研究がスタートした。企業と大学との共同研究としては、(当時はあまり認識していなかったが)数十万円が相場だったようであるが、数千万円の費用を用意していた。後から振り返るとトヨタが相場を上げてしまったのではないかと懸念している。
リグニンの元となる原料の一つは「コニフェニルアルコール」であることが知られていたので、この分子をモノマーとして重合する研究テーマ設定が行われた。簡単には重合しなくて苦労したが、当時研究されつつあった酵素重合法を用いることにした。西洋ワサビペルオキシダーゼによるコニフェリルアルコールの脱水素重合によりようやく一次元構造のリグニンらしき物質を得ることには成功したが、分子量を上げることができなくて結局その構造解析だけで終了となってしまった。しかしながら成果としては画期的だと判断し、一緒に論文投稿した。それが論文1)である。この際もトヨタは会社自体がこのような研究を実施していることを公けにしたくないという理由で共著者に入らなかった。残念ではあるが会社の判断なので致し方ない。
筆頭著者だった中村力也氏は調べてみると大学卒業後の2005年から宮内庁に就職されており、正倉院の保存に取り組んでおられるようだ。以下は彼の文献2)の概要である。
「正倉院宝物は,8世紀の歴史を今日に伝える貴重な文化財である。宝物に用いられた色料や接着剤を化学分析により調べたり,内部の構造をレントゲン撮影したり,微小部分を顕微鏡で観察したり,保存環境をクロマトグラフィーを使って調べたりと,宝物と化学との関わりは深い。本稿では,正倉院宝物を調査した事例を通じて,化学の重要性について述べる。」
このような地道な努力があって古代の建造物が保存されているのだという事を実感する。
この研究は共同研究終了後も更に継続することを検討したが会社独自で行うには今まで以上に時間がかかるし、この先10年はこのニーズ対応は急務ではないと判断し棚上げとした。今振り返っても正しい判断だったと思う。
Rikiya Nakamura, Yasuyuki Matsushita, Kazuhiko Umemoto, Arimitsu Usuki, Kazuhiko Fukushima,
Biomacromolecules, 7(6), 1929–1934 (2006).
Enzymatic Polymerization of Coniferyl Alcohol in the Presence of Cyclodextrins
2)中村力也(宮内庁正倉院事務所 保存課整理室長)
化学と教育 66 巻 8 号384-387(2018).
正倉院宝物を化学する
メールありがとうございます。リグニンは難しいですね。私が東大(工学部物理工学科)にいた頃、1980年代に農学部の林産学科から「高分子材料学」の講義を何遍か
依頼されたことがあります。確か、接着剤や粘着剤の研究をしていた水町浩教授からの要請でした。当時は、異例の要請で物理工学科の固体物理や超伝導の教授などから大分冷やかされました。
水町教授はとても面白い先生で、講義が終わるたびに彼の教授室で雑談しました。彼は、今も続く粘着研究会もやっていて、これも色々な講師を呼んで講演してもらい、その後は、彼の教授室で
缶ビールとおつまみで雑談しました。粘着研究会の常連は、東工大の畑敏雄教授で、雑談会ではいつも盛り上がっていました。畑教授の口癖は、「俺は、酒と女と革命が大好きだ。」
でした。彼は、100歳以上長生きされましたが、「坂の上の雲」を読みながら亡くなられたそうです。雑談の中で、林産学の最大の難問の一つは、「リグニンの有効利用」
と言われましたが、当時は、分子構造なども分からず「ブラックボックス」でした。粘着剤には、ロジンや樹脂などが使われていて未だ分かり安い方でした。それらに比べると天然ゴムは
優等生です。水町教授の後任は確か竹村彰夫教授でその後任は、理研から来られた生分解性ポリマーの岩田教授の筈です。
「リグニン」は莫大な量が出るので旨く使えるようになると良いですね。
西 敏夫
橋本です
私は日本ゼオンに入って粘着研究会に何度も参加させていただきましたが、新人で入った1999年からお亡くなりになられるまで研究会に参加の度に、畑先生のパワフルさには圧倒されておりました。
一緒に研究をされていた方はさぞかし影響を受けていたのだろうと思います。
水町先生の著書は粘着の基本としての書物となっており、日本の粘接着とりわけ粘着は東京大学の水町先生の系譜が作ってこられたという認識でした。
ありがとうございます。