60歳(2015年)になり役職定年で管理職の一線から退くことになった。私はまた以前のようにどっぷりと研究生活に浸りたいと考えていたところ会社の方ではシニアフェローとして「臼杵特別研究室 室長」と冠研究室の籍を用意してくれた。将来のために何か残る仕事をしたいと思い下記の4つのテーマを掲げ、社内でメンバーを募った。しかしながら研究部の面々は現状の業務が忙しくなかなか私の研究室に来てくれる人は少なかったが、4人は来てくれて5人体制で仕事を進めることになった。
・超ハイブリッド(MOFを含む)
・無機物から有機物を創る(人工光合成は含まない)
・戦略物質を作る(琥珀、高エネルギー化合物など)
・iPS分子の概念創生
超ハイブリッドとはナイロンクレイナノコンポジットを遥かに超える高機能で分子レベルでの構造体を作ることで、まずは少し始めていたMOFの産業応用を狙いとした。無機物から有機物を創ることは社内で人工光合成を大掛かりに研究しているグループがあったので、それを遥かに超える収率で有用な有機物を作ることを狙った。これの詳細を後述する。戦略物質を作るのは、会社として(トヨタとして)他の自動車会社、化学メーカーではできない有用物質を作ってやろうというとても我儘かつ教育的な研究である。これは次回以降に述べたいと思う。最後のiPS分子は2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞された山中先生のiPS細胞に似せて作った造語であり要は何かを添加することによりどんな性質にでも変換できてしまうような夢のポリマーができないかという話である。
まず人工光合成では二酸化炭素と水と光で有用な物質を作るという研究であり、豊田中研では他社に先駆けてギ酸を合成することに成功している。それが論文1)である。有機合成、無機合成、半導体、電子デバイス、バイオの研究者が合同で研究した成果であり、傍から見ても実用上は素晴らしい研究であると思っている。あえて言えば高濃度のCO2を原料にしているところが植物には劣ると考えていた。そこで人口光合成に対抗すべく既に空気中のCO2を固定している材料である炭酸カルシウム(CaCO3)を原料としてそれから有機物を発生させることを目的とした。メンバーで議論しそこに何らかの刺激を入れて有機物が出るかどうか見てみようという事になった。滋賀県にある甲賀アイソトープと言う会社で電子線照射を行っていただけることを見つけそこに研究室全員で車に便乗し何度も出かけた。真冬の雪の中、高速道路を走行して実験場に向かったことを今でもリアルに思い出す。終日の実験で発生した物質を会社に持ち帰りガスクロ、液クロ、マス分析などの分析をすると、ギ酸、酢酸、メタン、エタン、ホルムアルデヒド、アセトアルデヒドなどが発生していることが分かった。しかしながら比較実験で炭酸カルシウムが存在しない系、つまり水、空気だけに照射しても何某かの有機物が検出されてしまう。発生量が異なるので明らかに何かの反応は起きていることは分かったがそれでは実証した事にならない。そこで高価ではあったがC13でラベル化された炭酸カルシウムを入手し、それを用いて照射実験を行うことにした。終日実験を行ってサンプルを持ち帰り翌日にはすぐに分析に取り掛かることを何回も繰り返し、やっとC13でラベル化された有機物が多数検出されることが明らかになり、炭酸カルシウムから有機物が発生していることを明確にすることができた。これは目標が達成されたと考えすぐに論文投稿した。それが論文2)である。その際に放射線に詳しい早稲田大学の鷲尾方一先生に相当なアドバイスをもらったので共著者に入っていただいた。
Shunsuke Sato, Takeo Arai, Takeshi Morikawa, Keiko Uemura, Tomiko M. Suzuki, Hiromitsu Tanaka, Tsutomu Kajino,
J. Am. Chem. Soc., 133(39), 15240–15243 (2011).
Selective CO2 Conversion to Formate Conjugated with H2O Oxidation Utilizing Semiconductor/Complex Hybrid Photocatalysts
2)Yoichi Hosokawa, Shuji Kajiya, Ayako Ohshima, Nobuhiro Ishida, Masakazu Washio, Arimitsu Usuki,
Green Chem., 21, 3091-3098 (2019).
CO2 conversion by high-dose rate electron beam irradiation: one-step, metal-free and simultaneous production of H2, CO, CH4, C2H6 and organic acids from an acid-decomposed CaCO3/additive EtOH mixture
メール拝見しています。臼杵研究室を作って自由な研究が出来たのは素晴らしいですね。
炭酸カルシウムに目を付けられたのも面白い発想と思います。自然界には石灰岩があって主成分は炭酸カルシウムなので
それに紫外光などが当たれば有機物質が出た事でしょう。電子線の方が強力なのでもっといろいろ出てきそうです。
他のCO2を含む鉱物も対象にされたら何かいろいろ出来そうです。
昔ベル研にいた頃、面白半分でヴァン・デ・グラーフ型加速器が使えたので相図を持った相溶系ポリマーブレンドに電子線を照射して
相図を制御出来ないか実験してみた事があります。そこそこ制御出来たのですが、論文に纏める時間が取れずそのままになってしまいました。
確か、当時ベル研では、電話線被覆用塩ビに電子線照射を利用して塩ビの厚さを通常の数分の一にしていました。彼らに言わせるとこれで電話線を納める
長い導管の中に納められる導線の数が数十倍になるので経済効果は抜群だと言われました。大量生産の場合、一寸した改良が大きな経済効果を示すという
事を実感しました。
西 敏夫