25.受託研究と自発研究
豊田中央研究所での研究を論文で公開しているものについて寄稿文24までにまとめた。25からは論文にはしていないもの(できないもの)や研究に関しての想いなどについてまとめてみたい。
豊田中研は株式会社の形態をとっており株主はトヨタ自動車はじめグループ各社である。そこから研究ニーズをいただき各社さんと一体になって研究業務を遂行している。更に技術協力会社と言う名称で数十社程度の会社からも委託を請け負って仕事をしている。これらを「受託研究」と呼んでいた。それのみであれば新たな研究ができないため「自発研究」と言う名称で新規シーズの構築を行っていた。その割合は柔軟に変えて対応していたが、大概50:50の半々で仕事を割り振っていた。先駆けて自発研究を実施していて、研究の目途が付いたころに受託研究に移行することが理想的ではあるがなかなか思うようにはいかなかった思いがある。また思いがけずトップダウンで研究ニーズが下りてきて受託業務が開始されることがあり現場で人工の確保に苦労したこともある。仕事が少ない時もあるがその際は常に刀が錆びないように自ら研鑽を積むことも怠らなかった。学協会活動はまさにその一環である。以下、記憶に残る受託業務の内容を紹介したい。
・ヘッドランプの曇り対応
クルマの軽量化は私が会社に入社したころからずっと継続的に続く課題である。1970年代から80年代にはヘッドランプやテールランプのランプカバーは従来のガラスから透明樹脂(PMMA、PC)に代替され始めた。軽くなることは有難いのだが市場では雨の日などにランプカバー内部が曇るという問題点が指摘され始めた。豊田中研にはその原因解明とその対策をするという研究ニーズがあり私が対応することになった。これは外気の湿度が高いと樹脂が吸水し、それがランプの熱で揮発しランプカバーの内部に水滴として付着して曇ると考えられるとグループ会社の担当員に説明したのだが全く納得していただけなかった。当時は樹脂が水を吸うなど想定外だったのである。そこで早速担当者から各種の樹脂やガラスの試験片を送っていただき、水中にどぶ付けして実際の吸水量を測定してみた。ガラスは当然ながらまったく吸水はしないのであるが、樹脂は多いものでは1wt%程度の水を吸うことを実験で証明した。これを一週間以内にすべての実験を終えて担当者に説明し、更に発生した水蒸気を外部に逃がす換気構造にすることを提案した。これは担当者に喜ばれトヨタグループ内の成果発表会で豊田中研の貢献を大いに主張してくれ私自身は当時の部長に褒められたことはとても嬉しかった。これは最も少ない工数で最大の成果をあげた例である。
・粒子分散型調光材料
1990年代に光機能材料を手掛けだしたことを寄稿文11で記載した。再度掲載すると「(前略)トヨタ自動車からタイムリーなニーズを受け取った。それはアメリカのベンチャー会社から粒子分散型調光材料(SPD: Suspended Particle Display)のパテントライセンスの売り込みがありそれの調査を依頼されたのである。私はちょうど色素に関して調べ始めていたのでメンバーと一緒にその材料も実際に合成しその実力を評価することになった。(後略)」
特許にある材料を実際に合成し、これはクルマ用には耐熱性が不足しておりライセンスを受ける必要性が認められないということで終了するつもりであった。しかしながらトヨタの担当者のクルマに採用したいという強い想いから、次は耐熱性に優れる色素を合成するというニーズに変わっていった。そこで私の周りで有機合成ができる研究者をメンバーに加え大掛かりな研究に進んでいった。2年かけて赤、青、紫色の材料が合成でき、クルマの室内後方バックミラーの防眩用として部品を試作しトヨタの担当者とクルマの主査に説明に行った。その答えは「今までのプリズムタイプで行くことにする」であった。大いに落胆した。開発期間が長くなってしまったこととバブルが弾けてトヨタ社内では世界初、日本初の新技術は採用を控えているタイミングであった。これは私自身の研究マネージメントの粗末さとニーズ元との連携の悪さを実感した受託研究である。
上記の2例はうまく進んだ例と失敗に終わった研究の代表例である。ニーズ元と密な連携は必須でありかつ請け負う我々サイドが日々情報のアップデートをしないと間違った選択をすることもあるのでとても気にしている。そのための定期的な学協会への参加、論文のレビュー、研究仲間との議論は欠かせないものと認識している。またユーザーの現場を常にウォッチングすることは必須だという事を認識した事例である。
いつもお世話になります。
臼杵先生のこれまでの研究成果と長年にわたるご自身の研究開発に対するフィロソフィーや
その時代背景など、大変興味深く、拝読させていただきました。自分のこれまでの接着・粘着研究
をふり返えってみたいと強く感じました。大変な力作、ありがとうございました。
少し心配している点があり、これまでのご寄稿は公開済みなので問題ないと思いますが、
豊田中央研究所時代の非公開部分については、ナノポリのHPに掲載しても大丈夫でしょうか。
技術ノウハウは問題ないと思いますが、如何でしょうか。少し、心配しております。
今後も宜しくお願い致します。
加納 義久
連絡ありがとうございます。
ご懸念の点、広く誰でも見られる場への情報公開ではありませんので大丈夫だと思います。
私もその点は注意して書いております。
自分の足跡を残しておきたいことと、これからの時代を背負っていく方々の参考に少しでもなればと思って書いています。
これからも心配点などあれば遠慮なくお知らせください。
よろしくお願いいたします。
取り急ぎ。
臼杵有光
メール拝見しています。論文にしていない話はとても面白いですね。ヘッドランプの曇りのもとがポリマーの吸水性にあったのは納得が行きます。
確か多くのエンプラは成形前に充分乾燥させないといけないと言われてきます。ゴム材料の分野でもナノ充填剤であるシリカ等は結構吸水していて
注意が必要です。ヘッドランプに関しては、以前トヨタのブレイド(生産時期は、2006年12月~2012年6月)を2011年から2020年まで愛用していましたが、
何となく黄ばんできたのが気がかりでした。多分ポリカーボネート製だったと推定します。これなどは、本当は交換できるようになっていれば良かったかと思っています。
豊田中研と同じような立場にあったのは昔のベル研でした。AT&Tやウェスタンエレクトリックからの委託研究も結構あったようです。ベル研で客員研究員をしていた時
確か1974年頃ですが、「電話機の受話器に直結しているコイル状のコードが汚れやすいのを何とか出来ないか?」と相談を受けました。これは、コード用の塩ビベースの
ポリマー材料中の可塑剤のブリードに依るようでした。そこで当時研究していた相溶性ポリマーブレンドを応用して高分子可塑剤にすればと考えました。塩ビに相溶するポリマーを
探したところ、丁度デユポンが開発したばかりの熱可塑性エラストマー「ハイトレル」が旨く行く事を見つけました。ハイトレルのソフトセグメントと塩ビが相溶するようでした。
これでブレンド比を調整すれば適当な物性が出せるわけです。ベル研は喜んで「開発担当者になってくれ。」と言われたのですが、ブリヂストンに帰らねばならないのでお断りしました。
その後どうなったかは知りませんが、当時はその提案に面食らいました。
ブリヂストンに居たときもゴム材料だけで無く他の材料の相談が良く来ました。例えば、「ゴルフボールが芝生の色で汚れやすいのを何とか出来ないか?」等です。これは撥水性で
表面エネルギーが低い物質を極微量ブレンドするとそれが表面偏析して解決出来ます。こういうのを「鼻薬」と呼んでいました。当時は、分析能力が低かったので多分添加しても
検出不能でした。最近は分析能力が格段に進歩したので油断出来ません。今、話題のPFAS等は検出能力の進歩に依る物でしょう。
西 敏夫