20250110 30.研究のナビゲーション(雑感)

30.研究のナビゲーション(雑感)
(これは2016年プラスチックスエージの4月号p.7フォーラムに寄稿した文章のタイトルのみを変更したものです)
電車を降りると、数年前と比べて駅前はいつも混雑している。これも時代か、こんなに遅くても景気がいいな、とはいえ私もほろ酔いでタクシー乗車口の列に並んでいる雑踏の一部だ。乗った車はかなりの旧式で、運転手は70歳はとうに超えた風貌のベテランドライバーさんだった。それはまだしも、カーナビゲーションが付いていないのである。大丈夫だろうか … 。
「~まで」 … 無言で発車。「~交差点の近くです」… 無言。「そこを曲がると近いです…」 とたたみかけたら、「わかってるよ!」と初リアクションが返ってきた。続いて、落ち着いた声で、「地図は頭の中に入っているんだ」と言う。私は恐縮して、「すみません、お任せします」と。どうやらカーナビが付いていないと心配なのは私の方のようだ。自分は、気付けば自然と車に乗ったら発進前にナビを設定する習慣になっていた。ナビのとおりに行くと、どこを走っているのかわからなくなることもある。従っていれば、まあまあ着くだろうと。車の機能が素晴らしすぎて自分のほうが退化してしまいそうだ。そんな気持ちになってからは、ナビの方位で上を北に設定している。せめて東西南北は、わかってるよ!と言う意味ではないが、自身で示すことにした。技術はときに自分を越えて進化しているかのように映る。
タクシーの後部座席で、いつのまにか私の頭の中は仕事のことに切り替わっていく。
さて、ここからが本題である。
だいぶ角度が変わるが、このエピソードを自分の仕事である研究開発にあてはめてみるとなかなか愉しい。自分が学生あるいは若い研究者であった初期の頃は、先生、先輩や上司の指示に基づいて、示された道を真っ直ぐにがむしゃらに走り続けた。寄り道はせず、ひたすらやるのだからプロセスとしては速くて無駄がない。そして、実施に至れば褒められ、評価されることに満足していた。
しかし、それは最初だけだ。しばらく月日を重ねると、自分の研究は専門分野の中でどこに位置しているのかを、客観的に考えるようになる。考えざるを得なくなるといったほうが正しいかもしれない。自身の関わっている部分は全体のどの方向に向いて走っているのか、他者に対する優位性はどうか、確かめようとするが、そこからが最も長い道のりであった。
研究者としては、壁にぶつかり、悩み、ウロウロ彷徨っていたあのころが、たいへん貴重な時間であったと振り返る。いろいろと研究開発を行ってきたが、目標に向かって遠回りしてきたことも何度も経験している。最短コースで行けたら少なくとも半分以下の時間と開発費用で達成できただろうにと思うと悔しい。だが、それが研究の醍醐味、面白味であり、個人のセンスだと思える。もちろん研究には多くの人材がつながっている。みんなで培っていくものであるからにはそのリーダーとなる人は領域の地図を持ち、課題を見つけ、解決に向けて進む道を見つける能力を極めていかれるであろう。そのような優秀なリーダーが先頭に立って、方向性を明確にし、テーマは健全な方向に進んでいくことが予想されるし、メンバーは安心してついていくことができる。
それでは真にあるべき研究者の姿はどんな風貌だろうか。それが、最初に話したベテランドライバーの域ではないかと考えたわけである。つまり、地図すらないところに地図を作りながら進んでいく、いわゆる開拓者だ。フロンティアの域はデータに寄り添っていくだけでは難しく、やはり、人が迷いながらもある程度決断して進み、壁にぶつかりながら繰り返して行っていかねばならないだろう。特に材料系の研究は失敗の中から新しい発見が生まれることが多くある。だから、問題意識を常にもち、真髄を見つめていく強さが必要であると考えている。
近い将来には自動運転車が公道を走る時代が来るといわれている。しかし、出来上がった地図データがあるからこそ道路を走ることができるわけである。まったく未知の土地へ行けばすぐには走るわけにはいかないであろう。
いや、更に進化を遂げて自分で学習して地図を作りながら走るのかもしれないが、まだまだ夢である。
温まった車内で私は道順どころか、すっかりこんなことを考えてぼんやりしていた。車が止まり、アレッと外を見ていると、前方から声をかけられた。「お客さん、~です。着きましたから」。
はい、ありがとう!

Author: xs498889

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