トヨタ自動車では自動車の開発はチーフエンジニア(CE)が主体となって進められている。CEが各車両のすべてを決める権限と最終責任を持っている。詳しくは北川尚人著「トヨタ チーフエンジニアの仕事 」(講談社+α新書 829-1C) 2020/6/19新書にある。北川氏はトヨタ自動車でカムリ、プロボックス、サクシードなどのチーフエンジニアを勤め、ダイハツ工業で執行役員などを歴任された。以下少し内容を抜粋すると、チーフエンジニアは車両コンセプトの創造からデザイン、設計・評価、生産、販売、品質保証、サービスにいたるあらゆるプロセスの監督者である。複数分野の専門知識に精通し、専門外のことでも専門家集団とコミュニケーションを取りながらプロジェクトを進めていく「車の生みの親」で、技術系の憧れのポジションである。
CEは社内のあらゆる部署や役員に働き掛け、調査によってありとあらゆる情報を集める。情報を集めたら分析し、その結果を企画および開発に反映させ、開発設計を推進していく。関係各部と連携を取って話し合いを重ねて、車両の狙いや車両コンセプト(基本構想)、車両構成の細部をまとめていく。こうして、車両のコンセプトから寸法諸元、車両全体の計画図、車両の基本性能、各部の車両構成、品質、原価目標、開発日程などまで、開発に関する全てを指示するのがCEに求められる役割となっている。
しかしながら人事権は無いために自分を信頼して付いてきてくれる技術者を集める必要があるため相当大変そうだがやりがいは大きいのだろう。私も京都大学にて環境省プロジェクト(NCVプロジェクト、寄稿文23&24)を実施した際に実は同じような立場に立たされたのでよく理解できる。各部品や部材を別々の会社や大学などに依頼したのだが、プロジェクトの想いや期間に同調できない機関には辞退されたことがよくあった。それでも期限内にはクルマを完成させないといけないので精神的には苦しかった覚えがある。でも完成した際には人知れず高揚感を感じた。
その際に私は以前にお会いしたことのあるCEさんの色々な言葉や語り伝えられている言論を思い出し勇気をもらったので少し紹介したい。
・頑固に理想像を追求する。・失敗は貴重な財産。・80点主義(違和感があるかもしれないが、カローラはすべての項目について80点以上は確保し、さらにスポーティさなどの特徴とする項目は+αを目標にしたとのこと)。・フロントローディング、最後の一筆(最後の最後まで手抜きをせずに念を入れてやれとの意味)。・ヒントは何処にでもある。夢のようなアイデアを無視してはならない。・CEはアンテナを高くして外部からの情報を積極的に入手し、自己研鑽に努めよ。・CEは若い技術員や技能員に強い影響力を持つ。車両開発を通しての指導・教育にも意識を注ぐこと。・車の開発は会社の為と思うな。自分のため、自己実現の為である(会社の為と思うとどうしても消極的になり決断も鈍くなる。自分なりの考えをとことん追求する) などなど。
ところで大学の研究者にはCEのような刺激のあるポジションなどは無いのか気になったので調べてみると、PI(Principal Investigator)と言う言葉が見つかった。文部科学省の定義によれば、下記のものがある。
(1) 発表論文の責任者
(2) 担当プロジェクトの予算作成・執行の実質的な責任者
(3) 特定の部下(大学院生)の指導の責任者
(4) 研究グループの予算作成・執行の実質的な責任者
(5) 独立した研究室をもつ
大学内で自身がポジションを得て研究室を主宰することが必要である。大学教授は当然実施しているわけであるが若手ではなかなか難しそうなポジションであろう。会社の研究所では研究室を立ち上げれば当然のように人、金、モノは与えられるのであるが、大学では予算を獲得するところから始まるわけなので大変そうである。それで科学技術振興機構(JST)や新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)からの補助金には皆さんが積極的に応募するわけである。これらを確保し若い研究者にはのびのびと研究が実施できる環境を与えるようにしないと中々若手の成長は難しいのかもしれない。ぜひ研究のチーフエンジニア(これが表題のチーフリサーチャーの意味である。)を目指してほしい。
1 thought on “20250427. 44.チーフリサーチャー”
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メール拝見しています。「チーフリサーチャー」という概念は大事かと思います。
その前にチーフエンジニアで出てきた「カローラ」は、懐かしいです。大分昔になりますが、
1975~1985年と10年間3代目カローラ(1974~1979年)E3#を愛用していました。4気筒1300cc,茶色のセダンで未だ鉄製バンパー使用でした。
大きな故障も無く重宝していました。あれの裏にチーフエンジニアが居たとは知りませんでしたが、たいした方ですね。
大学では、大学、学科に依って若手のスタッフに対する扱いは随分異なります。例えば、ブリヂストンから戻った東大工学部物理工学科では、
専任講師以上は研究室制で基本は独立でした。助教授以上には助手1名、秘書が付きました。物理工学科に赴任したときに言われたのは、「君は大企業から来たが、
大学では、中小企業のオヤジになったつもりで頑張って欲しい。授業だけをちゃんとやってくれれば、後は何を研究しようと自由だからね。」でした。
東大工学部の教授会では、「工学部は、老舗名店街のようなもので皆さんは老舗の店主だと思って下さい。」と言われていました。
しかし、当時の年間経費は、100万円位で後は「科研費など外部資金は自分で取ってきなさい。」で途方に暮れました。しかし、いろいろ頑張ると何とかなる物でしたね。
一方、応用化学科は、講座制で教授、助教授2名、助手2~4名、秘書とピラミッド方式でした。東北大も同じでした。若手の成長を促すには、研究室制の方が講座制より良いのですが、大きな予算やプロジェクトをやるには、講座制の方が便利です。東北大WPI(原子分子材料科学高等研究機構)では、教授兼主任研究員(プリンシパル・インベスティゲーター(PI))でしたが、予算が限られ思うようには中々行かなかったですね。本当は、PIには、プロジェクトをやるためのスタッフを採用する権限があるはずですが、融通が利かずチャンスをつかむのが難しかったです。
東北大WPI(2008~2012年)の後に科学技術振興機構(JST)の開発主監(2013~2015年)をしましたのでばらまきでなく、産学官連携で大きな予算をとって若手が活躍できるように
改革しようとしました。しかし、抵抗勢力が強くてどこまで改革されたかよく分かりません。当時は、JSTの理事長が元日立副社長の中村道治博士だったのでやりやすかったのですが、また理事長は大学出身に戻ってしまったようなので残念です。日本では産学官の人事交流が少ないのが最大の欠点です。また期限付きの大型予算が付いてもそのためのスタッフ採用には時間が掛かり最適メンバーで進められるかには課題が残ります。
ベル研には、PIに相当するスーパーバイザーがいて活躍していました。毎朝10時頃に「コーヒータイム」があって研究室にスタッフが集まり、ドラフト内でビーカー、ロート、
濾紙、ガスバーナーを使って美味しいコーヒーを淹れる「最も重要な実験」をしていました。すると必ずスーパーバイザーが現れ”What’s new today?” と尋ねます。そこですかさず面白い結果や提案をすると”Let’s try!!”で即決でした。実験器具は、ベル研最上階の「実験装置、器具用スーパーマーケット」に行き、直ぐ取りそろえカートに入れてサイン一つで手に入りました。実験室には、真空、ガス、熱水、冷水、高圧空気、窒素ガスなどのラインが来ていましたので午後には簡単な実験なら直ぐ出来ました。研究者は、多国籍(アメリカ、日本、中国、
インド、フランス、ドイツなど)、年齢区別無しであの頃が懐かしいですね。ベル研はその後独禁法その他の原因で消滅してしまいました。今は、トランプのMAGAのため、科学技術予算
大幅削減、大量首切り旋風でどうなるのか分かりません。
西 敏夫