ナノ構造ポリマー研究協会に10年以上所属しており、「ナノ」の言葉の歴史やその意味付けに関しては当たり前のように感じていたが改めて考えてみた。
科学技術においてブームを作ることは重要である(寄稿文28:ブームを創る)が、ナノブームの立役者は『創造する機械』を1986年に発表したK. エリック ドレクスラーと言われている。MITの大学院生で1970年頃から環境が問題になってきた(因みにレイチェル・カーソンの書いた『沈黙の春』は1962年の出版物)時代に環境を汚さないで何とかして新しい物作りをしたいという思いで未来の科学技術として書いたSF的な本である。更に遡ると1959年のR. P. ファインマン(1965年ノーベル物理学賞受賞)の講演が始まりで(There’s Plenty of Room at the Bottom)では、「針の先端程度の大きさにブリタニカ百科事典すべてを記録する技術」を提案しており、この発想が後にナノテクノロジーとして確立されたと言われる。
ナノテクノロジー研究で最初に評判になったのは、1990年にIBMの研究者がヘリウムの原子を用いて走査型顕微鏡中、真空状態で「IBM」と書いて『Nature』に発表したことであろう。この写真は衝撃的でありナノメートルサイズの分子を自由に扱うことで画期的であった。レゴのように原子や分子を組み立てて、画面上で好きなものを組立てて、ナノマシンをつくる。つまり環境を汚さないで、材料だけをマシンに入れればパンもできるという話が出来上がっていくわけである。これがドレクスラー的な発想で、コンピュータ画面上で原子・分子を操作してボトムアップ型マシンをデザインしたことになる。それに対してトップダウン型は、ある大きさのものを細かく分割して製造するのである。19世紀にその存在が知られていたコロイド粒子がトップダウン型としてあげられ、これがナノ粒子やナノマテリアル、ナノカーボン等へと発展したと考えられる。
その後2000年1月21日にビル・クリントン大統領がカリフォルニア工科大学で、国家ナノテクノロジー・イニシアティブに関する演説においていくつかの具体的目標を発表した中で目標の1つとして「議会図書館の蔵書全てを角砂糖1個分の記憶素子に収容する」と述べ、2000年7月に『国家ナノテクノロジー・イニシアティブ:先導策と実施計画( National Nanotechnology Initiative: The Initiative and Its Implementation Plan )』という戦略計画が発表され、2003年12月3日にジョージ・W・ブッシュ大統領の署名をもって成立したという流れです。
コンピューターなどの分野ではナノ構造にすることにより、記録容量が飛躍的に増大するし、望みの機構を組み上げることも可能になってきているが、さて本題である構造材料ではどうだろうか?
私などは偶々であるが20歳代の頃にナノに関する新規な材料や現象に遭遇し研究開発に没頭した。その辺は寄稿文3~10に記述したが、結果として現れる機械的物性に興味がありあまり中身の本質的なところは議論してこなかったのが本音である。今更ながら当時の1993年の論文(寄稿文3)を読み返してみると“nanocomposite”という単語を使用しており、ナノには気付いていたことが分かる。実際は商品としてはハイブリッドという名称で売り出した。この材料におけるトップダウンとして製造したナノ(具体的には粘土を単位結晶層1nmに分散)の効果を今一度考えてみる。
まずここに一辺が1㎝のサイコロのような立方体を考える。その体積は1㎝3であり表面積は6㎝2である。そのサイコロの体積は保ったまま一辺をどんどん小さくしていった際の表面積を考える。
・1㎝角の立方体:全表面積は6㎝2
・1㎜角にすると全表面積は60㎝2、合わせた体積は1㎝3
・1μm(ミクロン)角では全表面積は6×104(6万)㎝2、合わせた体積は1㎝3
・1nm(ナノ)角では全表面積は6×107(6千万)㎝2(これはテニスコートが20面程度の大きさ)、合わせた体積は1㎝3
つまり全体の体積は常に1㎝3であるがどんどん細分化してサイズを小さくしていくことにより、爆発的にその表面積は増大していくことが理解できる。材料中にフィラーをどんどんトップダウン型で微小に分散させていくことにより材料とフィラーが接触する面積を飛躍的に増大することが理解できる。これでフィラーと材料(例えば高分子、ゴムなど)との界面での相互作用が大きければ材料の運動性が拘束されて物性が変化していくのである。これがナノの一番の効果だと考えている。
【参考にした成書】
五島綾子, 中垣正幸著「ナノの世界が開かれるまで」(海鳴社、2004年9月)
2 thoughts on “20250615 49.ナノの役割”
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メール拝見しています。ナノに関する面白い話をありがとうございます。
付け足しですが以下の情報も参考にして頂ければ幸いです。
ナノテクノロジーの元祖は、1974年に日本で開催された、国際生産技術会議で東京理科大学理工学部機械工学科の谷口紀男教授(1912~1999年)が「ナノテクノロジー」
という言葉を使って将来の重要性を訴えたのが最初と聞いています。彼は、東京帝国大学工学部造兵学科1936年卒業です。専門は、精密加工で「精密工学の父」と
その分野では呼ばれているそうですが、国際的にはあまり知られていないようです。造兵学科出身が良くなかったのかも知れません。学科の名前を付けるときは用心しないといけないと言う好例でしょう。。そう言えば、東大の時計台に向かって左側にあった歴史的な機械工学科の建物を改修する際に「機械工学科」の看板を取り外したら、「造兵学科」という看板が出てきたのを覚えています。大学当局は、それに慌てたらしく数日でその看板を撤去してしまいました。
ナノテクノロジーブームになったのは、2000年1月のクリントン大統領によるカリフォルニア工科大学における講演ですが、実は1986年にSTMの発明でノーベル物理学賞を受賞したIBMチューリヒ研究所のローラー博士が、1999年に東大の物理工学科で”Nanotechnology beyond Nanoelectronics”という衝撃的な講演をしました。要するにナノエレクトロニクスだけでなく“Nature is nanotechnology beyond nanoelectronics: it employs local and distributed mechanical, chemical, and electrical processing on the nm scale for building up macroproducts and macroprocesses”だと言うことです。彼は、東大だけで無く日本のいろいろな所で講演した筈ですが、当然その前にアメリカでも講演して大統領を巻き込んだのだと思っています。当時は、日本の首相が大学に来て将来の科学技術について講演した話が無いねと話し合った物です。今のトランプは大学を潰しにかかっているので隔世の感がありますね。
アメリカに対抗して日本も直ちに経産省が動いて、「材料ナノテクノロジープログラム」を2001年4月に立ち上げました。その一つが、高分子学会が全面協力した、「精密高分子技術プロジェクト」(2001~2007年)でしたが、英文名は、“Project on Nanostructured Polymeric Materials”(ナノ構造ポリマー材料プロジェクト)でした。リーダーは当時の高分子学会会長の中濱精一東工大教授(工学部高分子工学科)でした。これに呼応して現在のナノ構造ポリマー研究協会(2001年4月~)や高分子学会の高分子ABC(アロイ、ブレンド、コンポジット)研究会(1992~2002年)を改称した高分子ナノテクノロジー研究会(2002年~)が始まった訳です。
臼杵先生には2001年1月1日発行「ポリマーABCハンドブック」、NTS社、第6章第6節で「ナノコンポジット」p、555~560に執筆頂いて感謝しています。先日NTSの吉田社長
とメールをやり取りしましたが、この本と「高分子ナノテクノロジーハンドブック」(2014年)、「表面・界面技術ハンドブック」(2016年)は、今でも売れているそうです。
尚、ナノレオロジー(1997年)やナノトライボロジー(2000年)などは我々が使い始めて普及した用語かもしれません。特に、高分子学会に「高分子ナノテクノロジー研究会」
を立ち上げる際は、抵抗勢力が強くて大変でしたが、今は誰も文句を言わなく成りました。
西 敏夫
いつも有益なコメントをいただき誠に有難うございます。
知らなかった話が多くて浅学であることを思い知らされます。
谷口紀男教授の名前は失礼ながら存じ上げておりませんでした。
手元にある「ナノの世界が開かれるまで」にも名前が出ておらす残念な思いです。
たぶん機械分野の方のようなので材料系からは除外されていたのかもしれません。
しかしながらネットで見ると精密加工の分野では著名な先生ですね、これからは機会があれば紹介するようにします。
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臼杵有光