20250303. 36. 研究負債

(これは2018年プラスチックスエージの10月号p.7フォーラムに寄稿した文章のままです。再掲載になります。)
企業研究所に勤めていると基礎研究、応用研究、実用化研究、産業化研究など様々な研究段階の事象を経験する。基礎研究であれば陽の目を見るまでに時間を要することが多いし、必ずしもすべてが次のステップである応用研究に移行することがないので、特許を出願した内容などを適当なタイミングで学会などに成果を発表することがある。応用研究に関しても同様である。私も何回かは学会で発表することや学会誌に投稿することを行った。今までに自分が関与してきた過去の研究を振り返ってみると、まったく外部には発表されていない内容が多くあり残念な思いを持っていた。
ある時、車のなかでラジオを聴いていたら「睡眠負債」について睡眠専門の医者が話していた。これは毎日のわずかな睡眠不足が負債のように蓄積された状態のことで急に寝だめをしても解消されないということであった。負債というと「人から金品を借り受けて返済の義務を負うこと、またその借りた金品のこと」をいうので要は借金のことである。この話を聞いて私が研究を行いながら何か違和感を持っていたのは負債だと感じた。研究成果を外部に発表せずに自分自身の中にためてしまっている(外に対しては借金をしている)のでこれを表題の「研究負債」と名付けた。
そしてなぜこんな状態になってしまうのか、どうしたら解消できるかなどの想いをめぐらせた。日々の研究のなかではラボノートにアイデア、実験のプロセス、実験結果、同僚からの意見、参考文献情報などをこまめに記述しているつもりであるが、いざその内容をまとめて図や表にして考察を加えるとなるとかなりまとまった時間が必要になる。そのためそれを学会発表や論文投稿するとなるとどうしても時間がかかってしまう。これを解消するには当たり前のことかもしれないが普段から実験結果をグラフ化することがとても重要である。今ではパソコンが発達し一人に一台はある時代なのでこれは絶対にやらなければいけない。その結果からデータの不足や不備に対して早く気がつくという効能もある。これが一年ぐらいたってからデータをまとめてその不備に気がついてももう手遅れになることが多い。
また、会社での研究であれば複数の研究テーマが同時進行で流れているし比較的短期間でテーマ自体の見直しが行われるため、研究成果をそのまま放置しておくと後から見直すことが難しくなってくることがある。過去のラボノートをしばらくぶりに眺めるといたるところに問題点や次にやるべきことが記載されているのにも関わらず放置されている。テーマが変わってしまい手をつけることすらできない状況になっているわけである。
あとは外部に発表することに対する価値観であろう。企業内に留めておけば、外部の目には触れないためその人が研究を行ったことすら埋もれてしまうわけである。ある製品のノウハウのようなものは絶対に外部に発表するべきではないが、研究のなかで生まれた成果に関しては外部に残しておくことが研究者の義務であると感じている。
それが後世の人の目に触れればひょっとしたら役に立つことがあるかもしれないと思う。私自身は論文にすることで自分の足跡を残しているという思いで書いてきた。若いころは論文はハードルが高く、時間を割くことすらできないこともあったが、歳をとってからは頑張って書いてよかったなとつくづく感じている。最近ではコンピューターの能力が向上し、それぞれの論文の引用数も直ぐに調べてくれるので、それがやりがいにもつながるのではないかと思っている。
とにかく若い人には、成果はその仕事が続いているうちに早めに外部に発表すること、成果を溜めないこと(研究負債にならないこと)、発表することにより外部に自分の足跡を残すことを切に願っている。それが後世の人の目に触れて役に立っていることを想像すればやりがいがあるのではないだろうか。そうすることによって、最近日本の論文のアクティビティが低下してきたことに対しても対策できるのではないかと考える。

Author: xs498889

1 thought on “20250303. 36. 研究負債

  1.   メール拝見しています。「研究負債」とは面白い考え方ですが、とても重要と思います。私の場合は、企業、大学に居たのでそれぞれ立場が違いますが確かに研究負債はあります。企業の研究部門に居たときは、日報、週報、月報が主で旨くまとまれば、研究報告、調査報告、特許申請などにし、可能ならば学会発表、論文投稿などにしました。勿論社外発表出来ないが面白い研究など随分ありました。お蔵入りした研究も多かったです。研究報告書は当時タイプ係がいて和文タイプしてくれ、ナンバリングして永久保存と聞いていましたが今はどうなっているでしょうね。和文タイプは大変でしたが、ワープロ、
     パソコンの登場で報告書作成もズッと楽になったでしょう。膨大な文書もPDFにしてUSBに入れれば整理も簡単でしょう。
     いずれにせよ自分たちがやった仕事は、社内報告書、特許、論文などに纏めておかないと消えてしまいます。
      ベル研究所は、ラボノートを厳密に管理していました。ベル研ロゴが入った専用ノートが支給され、「ベル研であなたが行った研究、実験、アイデアなどを全て日付を入れて行を開けずに記入。」と言われました。また、「大事な発見、アイデアが出たときは、
     同僚の研究員のサインも必要。」でした。アメリカは、2013年まで先発明主義で、日本などの先願主義では無かったからです。
     勿論ラボノートはコピー厳禁で、ベル研を去るときは、全てベル研に返却です。ベル研は研究者の出入りが毎年10%位あるのでその対策でしょう。更にラボノートは鍵が掛かる引き出しに保管せよと言われました。研究所は、24時間オープンなので深夜にラボノートが盗み見されたことがあったそうです。確かにベル研では機密情報を扱う所もあったので産業スパイやロシアのスパイを気にしていたのでしょうね。
      大学ではもっと自由にいろいろな研究が出来ました。特に卒業研究は、結構冒険が出来て面白い研究をしましたが、学会発表が主体で論文投稿までこぎ着けるのは大変でした。卒論は製本し、図書室に収めるので残るのは確かですが、論文化する頃には学生が卒業してしまっているのが問題です。修士、博士課程に進んでいれば多少楽なのですが。中国の大学は、修士号を得るためには筆頭著者で最低1報の論文を国際誌に投稿、受理が必要、博士号を得るには最低3報なので相当頑張ります。最近の東大や東工大(東京科学大学)はどうなっているのでしょうね。
     この頃は、大学からの特許取得の奨励されています。以前ですが、2003~2009年の6年間、(独)科学技術振興機構の知的財産委員会主査を依頼され大学発の特許申請補助審査をしていました。面白い特許が結構ありましたが、日本は先願主義なので、申請前に学会発表してしまい自滅する例が沢山ありました。
     これは注意が必要です。特許的には、論文をネーチャーやサイエンスに発表しようが、日本ゴム協会誌に発表しようが全く同等です。
     西 敏夫

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