20240822. 13.ポリオレフィンの合成触媒・・・オレフィンの重合まで手掛けた

ポリマークレイナノコンポジットはナイロン6に始まり、各種のポリマーへの横展開をすることにより体系化することができた。層間でのモノマーの重合だけではなくポリマーをそのまま層間にインターカレーションすることにより、ポリプロピレンでも可能になった。一方トヨタ自動車においては別の切り口でポリプロピレンの高性能化を図っていた。それは従来には無い逆転の発想でエラストマー相をマトリックス樹脂にしてそのマトリックス(EPRなど)をポリプロピレンの高剛性な結晶で補強するという考え方である。

これはポリプロピレンのメーカーである三菱油化(現在は三菱ケミカル)と共同で開発され、バンパー用素材として1991年に実用化された。その後各ポリオレフィンのメーカーさんの協力の下で標準化されTSOP(Toyota Super Olefin Polymer)と命名されている。TSOPはリサイクルも可能であり、現在はすべてのトヨタ車のバンパー材として使用されている。

このような時代背景の中、豊田中研としてポリプロピレンの高性能化以外にポリオレフィン開発の流れを受けて研究テーマの見直し・補強を行った。私としては自動車用のプラスチックがポリオレフィンに統合される流れがあるなら、この際一番の上流側に遡ってオレフィンの重合触媒を研究してみることにした。チーグラーナッタ触媒に始まり、その担持型固体触媒、カミンスキー触媒など多くの有用な触媒が開発され実用に供されてきた。それらを研究しても良いのだが、やはり人とは違うことをやりたいというのが研究者の性である。
そこでまず実施したのは豊田中研の研究者を著名な大学の高分子合成を得意とする研究室に派遣することにした。色々と調べた結果、当時マサチューセッツ大学アマースト校のBruce M. Novak教授が若手で将来有望だと考え、そこに若手研究者を派遣してまずは一年間みっちり教育してもらうことにした。それが1994年のことである。

最初は行くことを渋っていたが、実験三昧の生活を過ごし色々と結果が出てくると、いざ日本に帰国する時には帰らないと言いだした。説得してもだめだったので、一年間の延期をして研究を進めた。この内容に関しては雑誌「高分子」のグローイングポリマー欄に彼が投稿している。それが論文1)である。アレンとプロピンの共重合を初めて実現したのである。実験が順調に進行し、実は更に一年後にはまだ帰国したくないとの事だったがさすがに会社側からはイエスの返事が頂けなくて更なる延期は無理だと判断し、次の一年間は別の若手研究者を派遣して継続実験を行った。今から考えるとかなり無謀なことをしたし、よく会社も認めたなと思っている。

しかしNovak研には東レ(株)など日本からも多くの研究員が派遣されており、そこでの人脈形成もでき今後の高分子研究においてとても有意義であった。
このようにしてしっかりと高分子重合触媒の技術を習得したので、今度は新規なポリオレフィンの開発を目指してテーマを立ち上げた。それは環状のオレフィンモノマーの重合である。その構造により高耐熱性のポリオレフィンを狙うことにした。1, 3-シクロヘキサジエン (CHD) の重合に対し, ビスアリルニッケルブロミド (ANiBr) とメチルアルミノキサン (MAO) からなる2成分触媒が, 極めて高活性であることを見いだした。また当時社内の別のグループが行っていたCOMPASS Force Fieldを使った分子動力学計算により, シス-シンジオタクチック構造のみが, ポリ (CHD) の実測X線回折パターンを再現できることがわかった。 1, 3-ブタジエン (BD) との共重合についても詳しく検討した結果、融点やガラス転移点が制御できた。それらの結果をまとめたのが論文2)3)である。

当時はやるべきことはすべて行ったという充実感はあったが、いざ実際にメーカーさんなどとの会話のなかで、いくら耐熱性が高いポリオレフィンができても加工性に問題があると使用してもらえないことが分かってきた。つまりTSOPは溶融時の流動性が著しく良好でバンパーのような大物部品にも適用できるが、今回のポリ(CHD)は流れ性が悪く現場では使用しづらいという問題点が浮き彫りになった。そこでこの研究開発には終止符を打ったが、今までに得られた知見や技術は蓄積されていくと前向きに考えることにした。
海外の研究機関との連携としては1990年ごろまではアメリカのGE中央研究所との連携を行い、日本とアメリカと毎年交互に交流会を行っていた。私も一回その場でプレゼンをした記憶があるが、厳しい質問に狼狽えた覚えがある。しかし当時は皆さんが「GE中研を追い越そう」という事で一丸となっており活気があった。本当はベル研を超えたいと考えていたようだが、さすがにそれは叶わなかった気がする。その後中央研究所の終焉なる言葉(論文4))が生まれ、GE中研やベル研が消えていく中で豊田中研は生き残っているのは有難いことである。

1)中野充
高分子, 47(2), 95 (1998).
グローイングポリマー「新しい重合性モノマーを見出す」
2)Mitsuru Nakano, Qing Yao, Arimitsu Usuki, Shinobu Tanimura and Takaaki Matsuoka
Chem. Commun., 2207-2208 (2000).
Stereo- and regiospecific polymerization of cyclic conjugated dienes using highly active nickel catalysts
3)中野 充, 臼杵 有光, 
高分子論文集 59(6), 356-363 (2002).
高活性ニッケル触媒による環状共役ジエンの位置および立体特異性重合
4)リチャード・S・ローゼンブルーム, ウィリアム・J・スペンサー編 ; 西村吉雄訳(日経BP社)1998年
「中央研究所の時代の終焉―研究開発の未来」

Author: xs498889

1 thought on “20240822. 13.ポリオレフィンの合成触媒・・・オレフィンの重合まで手掛けた

  1. メール拝見しています。重合触媒まで手を出すのは大変ですね。昔、ブリヂストンが合成ゴムの重合研究をやっていて成功したのは、シス1,4ポリブタジエン重合用のニッケル系触媒開発だけでした。
    大西さんという地味な研究者が発見して、それを元に商売が旨い上司が世界中に売りまくっていました。自社製造はしなかったようです。やはりロール加工性が問題となり、分子量分布を制御して何とか物になったと聞いています。
    海外留学は勧めるべきですが、確かに帰りたくなくなる人が出るのは良くあります。
    私も2年の予定でベル研究所にブリヂストンから留学したのですが、ポリマーブレンドの相図の発見と分子量依存性の発見、スピノーダル分解の発見、融点降下の発見など研究が佳境に入り、結局1年延長で3年間もベル研で過ごしました。
    最後の1年延長は揉めて給料をベル研とブリヂストンで折半することでOKになりました。
    本当は、ベル研の化学研究長から「揉めるなら、ベル研就職それが道義的に嫌ならどこにでも推薦状を書いてあげる。」とまで言われたのですが、私は、義理堅くブリヂストンに戻らねばならないと考えていたようです。
    もし、ベル研所長の誘いに乗っていたら今頃どうなっていたかと思うこともあります。
    但し、戻ると決めて直ぐにベル研の親会社であるAT&Tが独占禁止法で1975年に提訴され、10年後に判決が出てAT&Tが分割されてしまいました。ベル研も同じく分割され最後は、ノキアに買収で消滅です。
    ベル研の友人達は、アメリカの大学やIBM.台湾の国立研究所などに分散し、台湾系は今のTSMCの創設に関わった筈です。世の中どうなるか分かりませんね。
    西 敏夫

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