20250215 34.アリバイ研究

(これは2017年プラスチックスエージの12月号p.7フォーラムに寄稿した文章のままです。再掲載になります。)
企業での研究に携わり三十数年がたつ。過去を振り返ると様々な研究を行ってきたとしみじみ思う。封止樹脂としてのエポキシ樹脂、導電性高分子であるポリアセチレン、ナイロンなどエンプラ、ゴムのリサイクル、ポリ乳酸などバイオプラスチック、金属-有機構造体(MOF)などなどである。ある時期からはリーダーとしてあまり直接の実験を行わなくなったが、自分で試行錯誤しながら手を動かしていた頃が大変懐かしい。そんな頃に思いを馳せてみた。
企業では時間に対して厳密であり、当時は8:30までには出社し、17:30までは会社に居る生活であった。17:30以降の仕事は残業として認められる。私は高分子材料合成の研究者であったので、薬品を混合したり、加熱したりしているうちにすぐ定時になってしまい、毎日の残業が当たり前のようになっていた。それでも飲み会などが夕方からあると定時に終わっていることが多い。不思議である。これがこの記事を書こうと思った最初のきっかけである。やらなくても良いようなことに無駄な時間を使っているのではないか、これはやったことにしておいて実際は本当の研究をやっていない時間なのではないか、これをアリバイ研究と名付けた。アリバイとは犯罪などで現場に居なかった証明をすることなのであるが、ここでは実際はやっていないのにやったことにするような意味で用いている。
たとえば、新物質Cの合成を夢見て試薬のAとBを混ぜるとする。混ぜるのであれば、化学をあまり知らない人でもできる。本当の研究はこの前と後にある。前にはAとBの反応性をくまなく調べ過去に行われていた実験を確認する。また薬品の安全性も徹底的に調べる。混ぜた後はAとBの化学変化を各種分析機器により追跡する。変化が認められればCができているかどうかを同定する。そんな流れであろう。しかしながらアリバイ研究ではたぶんその前後でしっかりとした時間を取らずに、「混ぜて反応させた」(時間を使った)事実だけを言ってCができたかどうかは言及しないであろう。
時間に対してだけではなく、テーマに対してもこんな例が思い当たる。ある人から研究のテーマを与えられた。これを今月中には結果を出してほしいと言う。急いで取り掛かるが意外と早く結果が出た。そうなるとすぐに結果を報告すれば良いのであるが、残りの時間はやっていることにして実際は動いていない。これもアリバイ研究である。
研究という言葉の魔術である。「自分は○○の研究をやっています」と言った時、それは本当に結果を出して何か世の中のためになりたいと思って心から言っているのか、あるいは単に結果がでなくても○○を行っている行為が重要なのか、その差はとても大きい。上司や先輩から言われたから研究テーマをやっていますと言うのは行う必要はあるのだが、本当に必要なものは自ら見つけて自ら行うものであろう。最近の若い研究者を見ていると、本当に自分で考えて実施しているのだろうかと言う場面にも遭遇する。ぜひ自らテーマの意義などを考えて実施していただきたいと思う。
一方でまったく手を汚さない研究者も増えているように思う。コンピュータの前に座っているだけでは、新しい発見は期待できないように思われて仕方がない。人間はひらめき、発想、仮説の立案、実験、失敗、反省の繰り返しにより進化してきたと信じている。このサイクルだけはいくら人工知能AIが発達しても行っていただきたいことである。AIは真面目?であり、教えたこと、学習したことは絶対に忘れないし、怠けることもしない。ましてやアリバイ研究などは行わない。材料研究は遊び心、冒険心、探検心、知的好奇心などがあって発展していくような気がしている。これからの時代は、人間はアリバイ研究として今までだれもやっていないような突拍子もないことに専念してブレークスルーを目指し、AIが地道な材料の進化を支えていく時代になるかもしれない。

Author: xs498889

1 thought on “20250215 34.アリバイ研究

  1. メール拝見しています。アリバイ研究とはとても面白い話ですね。そう言われると私も随分アリバイ研究をしていたような気がします。
    特にブリヂストンに入社して直ぐの頃は、中央研究所で藤本邦彦博士のグループに配属されタイヤ用ゴムの疲労、熱老化、高次構造と物性などについて
    徹底的な研究をしました。彼は、京大理学部物理学科の卒業でブリヂストンでは異色の研究者でした。成果が出れば、何をしても文句を言いませんでした。
    大酒飲みでいつもアルコール臭かったです。特にウィスキーのストレートが好きで、「水割りやオンザロックなど勿体ない。」でした。
    彼は、普段は怖いのですが、研究の調子が良いときは、良く飲み過ぎて大きなアナログコンピュータの後ろで寝ていました。
    私の方は、もう少し真面目で、時間に余裕が出来ると余分な実験や研究をしたり、図書室に行って海外の論文を読みふけって次の研究に備えたりしていました。
    当時は、タイムカードがあって、勤務時間は朝8時から4時まででした。鯉が泳ぐ堀があった中央研究所の近くにタイヤ工場が隣接し、そこは24時間稼働3シフト制だったので
    それに合わせていたようです。定時勤務すると夕方4時には終わってしまうので明るい内に帰宅出来ますが、そうすると家内から「何で明るい内に帰ってくるの。
    隣近所にみっともないから止めてよ。」と言われました。大体2~3時間の残業は当たり前で、忙しいときは、4時間以上も普通でした。
    又何故か他部署から私の所に相談に来る研究者や技術者が多く、色々な情報や動きが分かって楽しめました。そう言う仕事も面白かったので
    技術士(応用理学)の資格も取りました。当時は、ブリヂストン全体で数名しか技術士がいなかったそうです。直属上司からは、「お主、謀反を企てているのではあるまいな?」
    と言われてビックリしたのを覚えています。
    ベル研やIBM研究所はアリバイ研究が多かったです。結果さえ出せれば何時勤務してもOKでした。研究所は土日を含めて、24時間オープンでした。
    IBMで一時共同研究した相手は、昼間には会えずいつも夜にしか会えませんでした。不思議に思って昼間は何をしているのかと聞いたところ、「グライダーに嵌まっていて、
    昼間は空を飛んでいる。」と言われてビックリでした。まあそういうところからオリジナルな研究が始まるのでしょう。日本では一寸あり得ないですが、世界を相手にする場合は、
    運営の仕方も考えないといけないですね。
    西 敏夫

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